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プロコフィエフ(1891〜1953)

 

2番はずっと抒情的で、ロマンティックですらある音楽になっている。作曲の動機は、フランスのヴァイオリニスト、ロべール・ソータンからの依頼にあったもののようで、曲の初演もソータンを独奏者として、1935年12月1日、スペインの首都マドリードを舞台に行われた。当時プロコフィエフは、ソータンも同道で、スペイン、ポルトガル、北アフリカヘ演奏旅行を行っていたのである。楽章は3つあり、ほば急〜緩〜急の古典的形式感のもとに作られている。
第1楽章はアレグロ・モデラート、ト短調、4分の4拍子。オーケストラの序奏部を置かず、いきなり独奏ヴァイオリンが抒情的なテーマ(第1主題)を奏でて始まる。第2主題は、これに対して、半音階的な動きが多く、より近代的な陰影をおびている。
第2楽章はアンダンテ・アッサイ、変ホ長調、8分の12拍子だが、中間部で曲想が一転し、アレグレット、4分の4拍子となる。主部はおだやかな哀愁をおびた息の長い旋律で、プロコフィエフの詩的な側面をよく表わしている。同時に中間部の軽妙さも彼の本領だ。
第3桑章はアレグロ・ペン・マルカート(充分にはっきりと)、変ロ長調、4分の3拍子。ロンド形式をとり、初めから独奏ヴァイオリンに出る主要主題は舞曲風で生き生きとしている。ダイナミックなフィナーレである。

 

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 作品27

 

セルゲイ・ラフマニノフ(1873−1943)は近代ロシアが生んだ名ピアニストとして名高く、作曲家としてもそのすぐれたピアノ作品(例の第2番をはじめとする4篇のピアノ協奏曲、多数の独奏曲)がまず想起される。しかし、協奏曲のオーケストラ・パートからも察せられるように、ラフマニノフは管弦楽法にもよく通じ、たとえピアノを離れても一家をなしうるだけの作曲家であった。交響曲は二短調(作品13)、ホ短調(作品27)、イ短調(作品44)と3曲書いており、当夜はこのうち、1906年から07年にかけて、すなわちラフマニノフが33歳から34歳の頃に書かれた中間の第2番が演奏されるわけである。
ラフマニノフは、1897年に初演された第1交響曲が、ロシア楽壇のモスクワ派とペテルブルク派の対立、反目に巻き込まれた形でさんざんな不評を蒙ったことに深く悩み、強度の神経衰弱におちいった。医師ダール博士の適切な暗示療法により、ようやく立ち直りを見せてのちの最初の傑作がピアノ協奏曲第2番(1901年)である。1902年には結婚もしており、この交響曲は、彼があらたに自信と自覚をもって、実り豊かな作曲活動に入った時期の所産だと言える。なお、この曲が書かれた場所は、彼が家族と共に当時3年ほど滞在したドレスデンであった。初演は1908年1月、ペテルブルクでジロティー指揮のもとに行われ、成功を収めた。楽章は、ドイツ流の伝統を汲んで4つある。
第1楽章はラルゴ(序奏)〜アレグロ・モデラート(主部)、ホ短調、2分の2拍子、ソナタ形式をとる。静かな序奏部には曲中の重要なモチーフのいくつかが予告されており、つづく主部の第1主題は、ラフマニノフらしくスラヴ的な憂愁も秘めた、壮麗で表情ゆたかな旋律である。第2主題は、いっそう抒情的で繊細な趣のもの。
第2楽章はアレグロ・モルト、イ短調、2分の2拍子で、3部形式をとり、そうと名付けられてはいないものの、明らかにスケルツォふうの楽章である。
第3楽章アダージョ、イ長調、4分の4拍子。ピアノ協奏曲にも聴くような、寄せては返す波にも似た、起伏に富む抒情美の旋律が魅力的である。

 

 

 

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